ぼくは「いま」2006年の1月にいて、去年の秋訪ねた北京をおもいだしている。ぼくの頭のなかの北京はいまだに散らかったままで、北京は北京で無意識過剰の熱狂の渦中だ。北京は、ピカピカで、全速力で、前のめりで、矛盾に満ち、そしてどこか狂ってる。おそらく中国には精神分析が必要だ。だがあいにくぼくは分析医ではなく、むしろどちらかといえば夢遊病者だ。これからぼくが書く文章は、きっと夢のなかで歩き回る者が書くカルテになるだろう。きっととりとめもなくなんの役にもたたない。それでもぼくはそれを書かずにはいられないんだ。
北京はどこまでもえんえん拡がっている、果てしなく続くえたいの知れない夢のように。北京はどこまでも続く片側六車線のハイウェイだ。ハイウェイの果てになにがあるのか、誰も知らない。どこへ行っても喧噪だ。繁華街の交差点では自動車の群れが四方から押し合い、誰も信号を守らないものだから、クラクションが鳴り響く。セリカ、フォード、マツダ、シトロエン富康、アウディ、ベンツ・・・。そこを自転車に乗った人びとが大挙して、ツバメのように駆け抜けてゆく。タクシーに乗り込む人の袖を乞食のコドモがひっぱり、物乞いをする。その向こうのデパートの前庭では、中国語のヒップホップに乗せて、かわいいモデルの若い娘たちがダンスをしている。笑顔が馴染んでいる子もいれば、恥じらう子もいる。ういういしい。それが北京だ、北京はヒップホップで踊る若い娘だ。
いや、人は言うだろう、北京はざっと700年ほどむかしに作られた、風水に拠って秩序づけられた都市である、天檀、地檀、日檀、月檀、その中心に故宮(紫禁城)がある。けれども果たしてそれはほんとうにほんとうだろうか? ぼくはおもう、それはほんとうでも嘘でもない。いや、できればもっともらしい嘘だと言い切ってしまいたい。故宮も万里の長城もすべて描き割り、観光客向けのテーマパークだ。売れるものならなんでも売ればいい、過去を売り飛ばすことくらいお安い御用。それが中国だ。北京はぼくを誘惑する、無意識過剰の熱狂のなかへ。北京はぼくを夢遊病者にする。そして北京は、ぼくを記述へと駆りたてる。そう、北京はぼくを挑発する、さぁ、この現実を書けるものなら書いてごらん、と。
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