北京にいるあいだぼくは、女流小説家、衛彗(Wei Hui)の『ブッタと結婚』(原題 『我的禅』)を日本語訳で読んでいた。衛彗は、上海の寺で生まれ智慧という法名を持つ美女作家で、ニューヨークと上海の2都での、ファッショナブルな都市生活を舞台に、シーツのあいだの愛と哀しみを描く。彼女の作品にはウディ・アレンの映画や『セックス・アンド・ザ・シティ』さながらの軽さが息づいている。数年まえ中国政府が、衛彗(Wei Hui)の『上海ベイビー』(原題『上海宝貝』)(1999)を発禁にして、しかしむしろそれによって国際的な人気に火がついたそうな。
『ブッタと結婚』(原題 『我的禅』)は、『上海ベイビー』の続編、こんな物語だ。上海生まれの主人公は、ほんとうの自分を探しにニューヨークを訪ね、そこでいろいろあって、やがて日本の男から、中国の二千年前の古い修業方法を学び始めることになる。彼女はかれを愛している、他方、かれの心がどこにあるかについて彼女には確信がもてない。登場人物には、中国で最初に性転換をして「女」になった人など派手な人物を配し、主人公は派手な消費生活をたのしみながらも、そのさまよえる心は、ニューヨークと上海というふたつのポストモダン都市のあいだで極めて不安定に揺れ動く。そして彼女の恋は、いったいどんな顛末を迎えるだろう?
衛彗(Wei Hui)は書く、「上海は変わってなかった。相変わらずあのまんま野心いっぱいに、ハイスピードで、クレイジーに、資本主義への路線を突っ走っている。上海のざわめきはニューヨークのそれをはるかに超えている。世界中でどこよりも騒がしく、自分を見失ってしまう場所。この街は、まず浮ついた華やかさとロマンティックなイメージでその名を知らしめたけれど、近頃では現実的で雑な面のほうがずっと知られるようになってしまった。誰もが一夜にして成金になるチャンスがあるとでもいうように、誰もがお金儲けと有名になるための最終列車を追いかけている。ここでは、何もかもが揺れ動いていて、変化していて、未知のもので、幻覚のなかを揺れ動いている。」
衛彗(Wei Hui)は書く、「上海はだんだんニューヨークのようになってきてはいるものの、永遠にニューヨークにはならない。少なくとも上海の空気はしっとりと雨上がりの花園か風呂上がりの女を思わせるにおいをしている。」衛彗(Wei Hui)は書く、「聞くからにおかしなことかもしれない。若くてせわしなく、あれこれ探し求めている中国人が、中国にいたときには、ビートルズ、セックスピストルズ、マリリン・モンロー、アレン・ギンズバーグを理解するために実存主義やチャールズ・ブコウスキーに夢中になり、政府から”西洋文化の奴隷”と非難され、世界で一番資本主義化した一番クールな都市-ニューヨーク-にやってきたのに、愛と希望と光に巡り会い、日本の男から中国の二千年前の古い修業方法を学び始めた。血液の中に染み込み、寄る辺のない野鳥のような魂に、故郷を追放されてさまよっている精霊をふたたび呼び戻す」(泉京鹿 訳)
彼女の作品『ブッタと結婚』を読みながら、ぼくはこの感じにはどこかで覚えがある、それはたしかにおれになにかをおもいださせると感じたけれど、ただししばらくのあいだそれがなんだったのか、おもいだせないのだった。ぼくはしばらくのあいだ自分の既視感とともに彼女の書く言葉のなかをさまよい続けた。
https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/170295/へつづく