これまでずっとぼくはサムゲタンを好きだったけど、ただし、ぼくはあの夜、すごくびっくりしたんだ。ぼくはこれまで知らなかったんだ、きみにこんなにも優美な一面があるなんて。おろかなぼくを笑ってほしい。サムゲタン、繁華街のありふれたサムゲタン屋でぼくは、きみのことを、ますます好きになった。さぁ、その夜のことを話そう。
その夜ぼくはその店に入り、まずサムゲタンを注文した。するとしばらくしておちょこ一杯の酒と、キムチ、オイキムチ、砂肝炒めの小皿がサーヴされたんだ。ぼくはびっくりしたよ、街場のありふれたサムゲタン屋で、1000円程度のサムゲタンを頼んだけなんだ、それなのに食前酒と、(キムチが出てくるのは韓国じゃあたりまえだけれど)、砂肝炒めまでが出てきたから。
おちょこにそっと口をつけると、高麗人参酒だった。おぉ、さすがサムゲタン屋、薬膳の世界が構成されているのだねぇ。そう、サムゲタンは薬膳のような性格があるそうな。韓国の人は、毎月3回くらいは、夏も冬もサムゲタンを食べるらしい。夏は夏バテ防止に、冬は風邪をひかないように。また少し元気がなくなってきたな、と、おもったときや、あるいはがんばらなくちゃっておもったときは、春だって秋だって、やはりサムゲタンを食べるのだそうな。
さて、そのアペリティフの高麗人参酒、それは不思議な苦味群を感じる、透きとおった味覚の酒だ。そして高麗人参酒で軽くしめった舌で、塩の効いた砂肝などをコリコリいただいていると、いよいよ、サムゲタンが登場する。
おぉ、きっと来てくれるとおもっていたよ、と、おれはサムゲタンにつぶやく。椀のなかにはスープが注がれ、そこにはとろとろに煮込んである鶏肉がたゆたっている。さぁ、食べよう。スープは、とんこつスープのように白濁してはいなくて、上品に澄んでいる。はんなりしていて、それでいてコクがあるんだ。うまいねぇ。あぁ、うまい。鶏の腹に詰められたナツメや銀杏も鶏といっしょに煮こまれている。スープのなかには高麗人参も。骨は小皿に捨てながら食べるのだが、よ~く煮込まれているため、小骨などは、噛むと口のなかでやさしく崩れてゆく。誘惑を前にしたぼくの意志のようにもろく・・・。
あぁ、しあわせな時間もまた過ぎ去ってゆくことはなんて悲しいことだろう、と感嘆文でつぶやいていたぼくに、おもむろにちいさな蒸し籠で蒸しあげられたオコワがサーヴされた。なんと! まだ、次なるおたのしみがあったのか!?? そう、残ったスープのなかにオコワを放り込んで、おじやみたいにして食べるのだった。粋なはからいだねぇ、餅米がまたもっちり炊けていて、アズキ色に頬を染めて。
ぼくは知らなかったよ、サムゲタンのサーヴに、こんな流れがあったなんて。サムゲタン、漢字で書くと、参鶏湯だ。参鶏湯、きみのことが大好きだ。地下鉄シティホール駅そばの交差点近く、繁華街の雑踏のなかの食堂で、ぼくはサムゲタンに、惚れ直していたのだった。
そうそう、そのサムゲタン屋のメニューには、参鶏湯と並んで、烏骨鶏湯(オゴルゲタン)という料理が並んでいたのだけれど、それがいったいどんな料理なのかは、いまだ、謎のままだ。まさか、カラスの料理ではないだろう・・・とおもってはいるのだけれど・・・。
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