『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(39)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

インド独立







8月、英国では、首相選挙が行われ、
チャーチルの属する保守党は負けた。
チャーチルに代わって、
クレメント・アトリー労働党政権が発足した。
アトリー首相は、独立後の政体について
インド人の間で合意が成立すればすぐに
政権をインドに委譲すると表明した。
(もしも、チャーチルが続投していたならば、
かれの大嫌いなインドを、
ゼッタイに手放しはしなかっただろう。)






インドでは、1945年から1946年、総選挙が実施された。
国民会議とムスリム連盟が一騎打ち。
大英帝国は、1946年3月、閣僚使節団を派遣し、
東西のムスリム多数州(現在のパキスタン、バングラデシュの領域)と
ヒンドゥーが多数を構成する中央部・南部(ヒンドゥスタン)にインドを分割し、
それぞれの州に、自治権を付与する案を出した。





最後のインド総督として、1947年、
ルイス・マウントバッテンが最後のインド総督に就任した。
マウントバッテンは、ヴィクトリア女王の曾孫である。
余談というべきかどうか、
マウントバッテンがインド総督を務めていたとき、
かれの妻はネルーと関係があった、と噂される。
この世界でもっとも危険な愛は、
シーツのあいだのふたりを、さぞや燃えあがらせたことだろう。








1947年8月15日、デリーのレッドフォートにおけるネルーの独立宣言をもって、
インドと、パキスタンは、二国として独立を宣言した、
すなわち、インドは領土縮小され、
新たにムスリムの国として、
西パキスタン(現パキスタン)、東パキスタン(=現バングラデシュ)が生まれた。
これにて、ブリテッシュ・インディアの時代は終わった。






ガンディーは独立式典に参加しなかった、
かれは三十二年の努力が、「不名誉な終わり」を迎えたとおもったからだ。
かれは十月、七十八歳の誕生日、祝辞を述べる人たちに、かれは言った。
「お祝いなど無用です。むしろお悔やみをいただいた方がいいくらいです。
かつてはわたしがなにを言っても民衆はみんなついてきてくれた。
今では、わたしの声に応える者は誰もいない」






また分離独立にまるわる悲劇もあった、
なぜなら、パキスタンの独立によって、
そこに暮らしていたヒンドゥー教徒たちは、
家を捨て、わずかな財産を手に、長い道のりをデリーの方に向かって、
歩いたのだった。そこでは強盗、略奪、レイプなど、
さまざまな犯罪が起こった。






ガンディーは何度も断食して、抵抗した。
しかし、ヒンドゥー原理主義者たちは、
ガンディーのムスリムとの融和の考えを、きびしく警戒した。
そしてガンディーは銃弾に倒れ、他界した。




つづく → http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/54643/
目次 https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/



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