インド独立
8月、英国では、首相選挙が行われ、
チャーチルの属する保守党は負けた。
チャーチルに代わって、
クレメント・アトリー労働党政権が発足した。
アトリー首相は、独立後の政体について
インド人の間で合意が成立すればすぐに
政権をインドに委譲すると表明した。
(もしも、チャーチルが続投していたならば、
かれの大嫌いなインドを、
ゼッタイに手放しはしなかっただろう。)
インドでは、1945年から1946年、総選挙が実施された。
国民会議とムスリム連盟が一騎打ち。
大英帝国は、1946年3月、閣僚使節団を派遣し、
東西のムスリム多数州(現在のパキスタン、バングラデシュの領域)と
ヒンドゥーが多数を構成する中央部・南部(ヒンドゥスタン)にインドを分割し、
それぞれの州に、自治権を付与する案を出した。
最後のインド総督として、1947年、
ルイス・マウントバッテンが最後のインド総督に就任した。
マウントバッテンは、ヴィクトリア女王の曾孫である。
余談というべきかどうか、
マウントバッテンがインド総督を務めていたとき、
かれの妻はネルーと関係があった、と噂される。
この世界でもっとも危険な愛は、
シーツのあいだのふたりを、さぞや燃えあがらせたことだろう。
1947年8月15日、デリーのレッドフォートにおけるネルーの独立宣言をもって、
インドと、パキスタンは、二国として独立を宣言した、
すなわち、インドは領土縮小され、
新たにムスリムの国として、
西パキスタン(現パキスタン)、東パキスタン(=現バングラデシュ)が生まれた。
これにて、ブリテッシュ・インディアの時代は終わった。
ガンディーは独立式典に参加しなかった、
かれは三十二年の努力が、「不名誉な終わり」を迎えたとおもったからだ。
かれは十月、七十八歳の誕生日、祝辞を述べる人たちに、かれは言った。
「お祝いなど無用です。むしろお悔やみをいただいた方がいいくらいです。
かつてはわたしがなにを言っても民衆はみんなついてきてくれた。
今では、わたしの声に応える者は誰もいない」
また分離独立にまるわる悲劇もあった、
なぜなら、パキスタンの独立によって、
そこに暮らしていたヒンドゥー教徒たちは、
家を捨て、わずかな財産を手に、長い道のりをデリーの方に向かって、
歩いたのだった。そこでは強盗、略奪、レイプなど、
さまざまな犯罪が起こった。
ガンディーは何度も断食して、抵抗した。
しかし、ヒンドゥー原理主義者たちは、
ガンディーのムスリムとの融和の考えを、きびしく警戒した。
そしてガンディーは銃弾に倒れ、他界した。
つづく →
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