クイット・インディア、英国人よ、インドから出てゆけ運動!
大日本帝国は、ルーズベルト大統領率いるアメリカに、
満州鉄道経営をさんざん邪魔された。
(なにしろ満州鉄道に並行した線路を、
アメリカに引かれてしまう)、
しかも、1941年7 月25日、アメリカは、
自国内の 日本資産 1 億 3 千万 ドルを凍結し、
貿易、金融関係を全て断絶する経済封鎖 を実施した。
さらにルーズベルトは 8 月 1 日に石油などの対日輸出禁止した。
この当時、日本の石油自給率は 5 パーセント、
95 パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていた。
この仕打ちは、カダフィー大佐のリビアに対する措置と同じである。
危ない、大日本帝国、もはや国家としての存亡の危機である。
そこで日本はアメリカと戦争を決意。
12月8日、ハワイ、オアフ島の、真珠湾を攻撃、
アメリカ海軍の太平洋艦隊を、攻撃した。
ま、日本としては、短期決戦で相手国の戦力を奪っておいて、
あとは国際的な仲裁を期待したんじゃないかしら、
日露戦争では巧いことそうなったけれど、
しかし、今回ばかりはそうはいかなかった。
なにしろ、米英にとって日本は、
かれらのアジア利権を邪魔だてする、
悪の枢軸国だったから。
英国のチャーチルは、アメリカが参戦したことで
これでわが国も勝ち組だ、
と安心したのもつかのま、
1942年2月大日本帝国が、英領シンガポールを陥落させた。
その報せを聞いたとき、チャーチルはひとりだったことを感謝した、
そのくらいうろたえたのだった。
なにしろシンガポールは、アジアのジブラルタル海峡であり、
戦略上重要な場所、しかも要塞があるからゼッタイ大丈夫、
と確信していたから。
このシンガポール陥落がまた、
英国人は、日本軍が攻めてくるなら海からだろう、という予測を裏切って、
日本軍は、マレーシアからゴムボートに乗って、
そのゴムボートに自転車積んで、
いったんマレーの半島のジャングルに上陸して、
マングローブ林を通って、市街へ攻め込んだのだった。
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1942年8月8日、インドでは、
クイット・インディア運動
(Quit India インドから出てゆけ運動)をボンベイで展開。
英国は、この運動を徹底的に弾圧した。
50大隊を導入し、反乱は6週間で鎮圧された。
英国は、会議派のリーダーたちを全員、約3年間拘束した。
クイット・インディア運動は、
ますますチャーチルをインド嫌いにしただろう。
そして1943年、ベンガル飢饉が起こる。
ベンガル飢饉により200~300万人の人々が死んだ。
しかしチャーチルが、インドになにか手を差し伸べるはずもなかった、
チャーチルは、レオ・アメリー(Leo Amery)インド担当相に言った、
「え、インドの飢饉への援助?
そりゃ飢饉にもなるだろうさ、
あいつらときたら、ウサギみたいに繁殖するからな。
聖者を気取った半裸の弁護士は、まだ死んでいないのかね。」
つづく →
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