チャーチルの、熱い、熱い、熱い演説
ナチスドイツは、1939年9月、ポ-ランドを攻撃した。
ナチスドイツ軍は、ヒトラーの命令に従って行動した、
「無慈悲に、かつ一切の憐憫の情を持たず、
老少男女を問わずポーランド人すべてに
死をもたらす命令」に従って。
なんて残酷なことをするだろう、
ショパンのマズルカが血を流し、悲鳴をあげているよ。
ポーランドは、ソヴィエトと西ヨーロッパの緩衝地帯ゆえ、
このとき、ヨーロッパに緊張が走った。
この段階では独ソ不可侵条約 German-Soviet Nonaggression Pact が生きている。
英国とフランスは、ポーランドと防衛協定を結んでいる。
そこで、英国、ネヴィル・チェンバレン首相は、
1939年9月にドイツに、宣戦布告した。
ただし、チェンバレンは、なんとかドイツと戦争せずに済ませたかった。
英国は戦争はしたくない、
なぜなら、1934年の段階からチャーチルは、
英国空軍の備えが足りないことに危機意識をもっていて、
We are vulnerable! と訴えていたくらいだ。
ただロンドンの上空に、気球が三十も四十も浮かんでいた。
しかし、ドイツは聞く耳を持たない、
事態はもはや予断を許さない、
1940年5月英国の首相の座に、チャーチルが座り、
挙国一致内閣で、いよいよ本気で戦争に突入することを宣言したのだった。
チャーチルの就任演説を聞いてみよう。
"I have nothing to offer but blood,toil,tears and sweat."
「私が国民のあなたがたに提供できるものはなにもありません、
血と汗と涙、そして苦労、ただそれだけであります。
我々の目の前には、かつてない重大な苦難があって、
数ヶ月もの長い努力と苦痛が、数多、我々を待ちかまえています。
諸君は問うでしょう、我々にはいかなる方針があるのか?
お答えしましょう、
陸海空において、神が我々に与えたもうたすべての力を使って、
戦うことであります。
いまだかつてない、人類の悲惨な犯罪史にさえない、
この途方もない暴政に対して、戦うこと。
これが我々の方針であります。
諸君は問うでしょう、我々の目標はなんなのか?
一言で答えましょう、それは勝利であります。
どのような犠牲を払おうとも、勝つこと、
どのような悲劇が待ち受けようとも、
その道がどれほど長く険しかろうとも、勝つこと。
もしも勝利がなければ、我々が
生き残ることができないのであります。」
チャーチルは、政権を取った後、速攻で、
航空機生産大臣のポストをこしらえ、
チャーチルに任命された大臣は、
民間から、使えそうな部品をあらいざらい供出させ、
なんとか軍用機の数を揃え、戦争に備えた。
チャーチルは戦略的かつ実務的有能を発揮する、
おまけに軽く躁病なんだ。
●
1939 年、第二次世界大戦が始まると、
英領インドもドイツに対して宣戦布告を決定した。
しかし、これはインドの州政府の意思ではなかった。
国民会議派は、イギリスとともに参戦する条件として、
自治権、そしてインド人による憲法制定を要求した。
しかし、ブリティッシュインディア政庁は、これを拒否した。
国民会議派は、8つの州政権の閣僚を総辞職させ、
UKに対して協力拒否の姿勢を、打ち出した。
他方、イスラム教徒の政党が政権を担当していたパンジャーブ、
ベンガル、シンドなどの州は、イギリスの戦争への協力を表明し、
多くのムスリム系インド人 が連合国軍として各地で戦った。
これが、1940年のラホール大会、
ジンナーは、二民族論(Two-Nation Theory)を含めた、
いわゆるラホール決議の採択とあいまって、
ヒンドゥーとムスリムの分裂は決定的になった。
つづく →
http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/54408/目次
https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/