同時多発狂気、1930年代
さて、いよいよ、不穏な1930年代ですよ。
ソヴィエトは、赤地に鎌とハンマーの旗を翻し、
颯爽と誕生した労働者の労働者による労働者のための国として生まれ、
1922年、スターリンは、「すべての権力をソヴィエトに」
とシュプレヒコールも勇ましく、人民の勇気を奮い立たせた。
スターリンは、神学校卒業、聖書の全章を熟読していたけれど、
それがスターリンにどんな影響を与えたか、
それは余人にはわからない。
スターリンは、血も凍るソヴィエト刑法を導入し、
スターリンの一存で、誰もが天国へ生ける国が生まれた。
しかもスターリンは、農業政策をいじって失敗し、
推定700万人の餓死者を出した。
そこでスターリンは名案をおもいつく、
偽ドル札をじゃんじゃん刷って、1000万ドルを流通させたのだった。
他方、ドイツでは、1920年、ヒトラーは政治家になり、
1920年代半ばに『わが闘争』を出版した。
そこにはこんなことが書かれていた、
「人間は戦う動物である、戦わなければ滅びてしまう、
いま、必要なことはわが民族から汚辱を取り除き、
純化することだ。」
これが後に国際的な悲劇を引き起こすことになるのだけれど、
ただし、当時、ナチ党は弱小党だった。
しかし1920年代末から1930年代初頭にかけて、
ナチス党は議席数を増やしてゆく。
それと同時に、ユダヤ人への弾圧が激しくなってゆく。
ユダヤ教徒たちはドイツからどんどん国外亡命している、
(1933年代だけで6万3000人である)。
1934年に、ヒトラーが国家元首におさまった。
ヒトラーのスローガンは、「共産主義を倒せ!
ソヴィエト方面に進出し、植民地にしてしまおう!」である。
ほんとは領土を拡大させたいだけだけど、
「打倒、共産主義」のお題目がなければ、格好がつかない。
しかも、あっというまにヒトラーは全権を握ってしまう。
もはやナチ党がドイツ国家であり、ドイツはすなわちナチになった。
そして1935年に、ドイツは再軍備宣言、
すなわち「ヴェルサイユ条約、ふざけんな!」ですよ、
ま、その気持ちはわかります、
さすがにあれはヴェルサイユ条約が悪い。
とはいえ、軍備にはカネがものすごくかかる、
ドイツはむりやりカネを工面し、軍備に膨大なカネをかけてゆく、
ドイツ国民にとってみても、、恐ろしい綱渡りがはじまったのだった。
ヒトラーは、画家として才能はなく、建築家にもなれず、
第一次世界大戦に従軍し、手柄をたて、政治家になった男ながら、
しかしその声は自信に満ち、その熱狂的な演説で、
アーリア人優越思想を吹き込み、ドイツ人を熱狂させた。
なにしろドイツ人ときたら、第一次世界大戦でボコボコにされ、
屈辱と、自信喪失のなかに佇んでいたものだから、
ヒトラーの熱い演説によって、勇気と自信を取り戻し、
目をらんらんと輝かせた。
(なお、ユダヤ人は、色は白くとも、アーリア系ではなく、
セム系とおもわれ、セム系は劣っている、と決めつけられていた。
それが例の、残虐非道の大虐殺を支えるヒトラーの論理だった。
はやいはなしが、ユダヤ教徒を除けば、白人はみんな偉いんだ、
という妄想に過ぎない。
そもそももともとアーリア系という語は、
あくまでも言語学の概念であり、
けっして人種についてのそれではない。
「アーリア人」という語を、
生物学的に定義することは不可能である。)
さて、大日本帝国はというと、
ソヴィエトの南下政策への恐怖を前提に、
地政学的国防に余念がない。
朝鮮半島と台湾を押さえているとはいえ、
それではまだじゅうぶんには安心できない。
そこで日本は、中国の混乱状態につけこんで、
1931年9月に満州事変を起こし、
1932年が、上海事変、
そして世論の目を上海に奪っておいて、
どさくさにまぎれて、満州国を作ってしまう。
もちろん国連では、誰も滿洲国を認めなかった。
なぜって、もしも英国と米国が満州を認めてしまうと、
かれら優位のアジアのパワーバランスが壊れてしまう。
そこで米英は、日本叩きに転じた。
松岡は国連を脱会した。
日本は世界を敵にまわすようになった。
しかも国内では、五・一五事件で、満洲を認めない犬養さんが殺されて、
挙句の果てに、政党政治が終わってしまう。
もはや軍部独走で太平洋戦争突入、目前である。
それにしても世の中なにが起こるかわからない、
1936年11月に、日独防共協定が結ばれたのは、
東アジアのパワーバランスを考えれば、よくわかる展開。
しかし、1939年、スターリンとヒトラー、このふたりの策士は、
お互い、相手のことは(死ね、このバカ野郎)とおもいながらも、
それぞれの思惑をひた隠し、にっこり笑って握手して、
独ソ不可侵条約を結んだのだった。
これは、ま、ヒトラーにとっては、
ドイツはこれからポーランドへ侵入しますけど、
スターリンさん、それ、了解してくださいね、という挨拶だった。
スターリンも鷹揚なもの、ポーランドくらいあげるよ、
欲しけりゃチェコだってもってゆきたまえ。
うちの国土は広いからね、なにしろ餓死者が700万人だ。
ま、そのかわりと言っちゃなんだけど、
ヒトラーくん、英国、米国との戦争、
ドイツ主導でがんばってくれたまえ。
うちも参戦したいのはやまやまだけれど、
なにしろ偽札刷りながら戦争するのも物入だからね。
さて、ここでインドの話題に戻すならば、
英国が、インド人たち国民会議派に、
地方政治に参加させることを認めたこともまた、
近づく第二次世界大戦の予感のなかでのことだった。
それにしてももしも第一次世界大戦の後、ヴェルサイユ条約で、
英国、フランス、アメリカ、ついでに日本が、
あそこまでドイツを追い込まなかったならば、
「ドイツという名のレモンをぎゅうぎゅう搾」らなかったならば、
第二次世界大戦は起こらなかった可能性が高い。
もしも第二次世界大戦が起こらなかったならば、
推定600万人のユダヤ教徒たちは、
ヒトラーに殺されずに済んだ。
他方、ヒトラーが英国をがんがん攻撃したことは、
英国の国力を衰えさせ、インドの独立への後押しになった。
なんとも歴史の皮肉を感じる。
つづく →
http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53781/目次
https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/