ガンディーにおける、英国の社会主義思想および神智学からの影響
十九世紀において、
マルクスとエンゲルスの夢想した社会主義国家について考えることは、
<まだこの世に存在していないけれど、
ただし、存在しうる可能性のある社会のかたち> をイメージすることだった。
当時の社会主義のイメージは、二十世紀のそれとはまったく違う。
われわれはすでに知っている、
第一次世界大戦のどさくさのなか、
1917年に、ロシア人が帝政を倒し、
最初の社会主義国家、ソヴィエト連邦を誕生させしめ、
ましてや1962年、ソルジェニーツインが暴露した、
恐怖の社会主義国家のイメージを。
ただし、それはあくまでも二十世紀の、実現した社会主義国家ソヴィエトの現実にすぎない。
英国は近代化が早かったゆえ社会が成熟していて、
19世紀の後半、英国のなかには、それなりの厚みで、
社会主義の支持者たちがいた。
マルクスだって『共産主義宣言』こそ、ベルギーのブリュッセルで書いたものの、
人生の後半はロンドン暮らし、『資本論』もロンドンで書いた。
マルクスを経済的に支えたエンゲルスも、ロンドンで、
かれのパパの会社に勤めていた。
立て、万国の労働者、と高らかに結成された第一インターナショナルも、
ロンドンで誕生した。
耽美趣味の人、オスカー・ワイルドでさえ、『社会主義下の人間の魂』を書き、
心の綺麗な人たちの理想社会が描かれた。
英国政府は、けっしてかれらの運動を弾圧することなく、
それでいて、では、英国を社会主義の国にする気があるかかといえば、
そんな情熱をもっている人間は、少なかった(ように見えるけれど、
じっさいはどうだったんだろう?)
ぼくの印象を述べることが許されるならば、
英国のインテリの社会主義は優雅なもので、
かぐわしい紅茶の香りをたのしみながら、
社会主義を支持し、自身はなんの因果かたまたまカネ持ちではあるけれど、
また、かれら彼女らはけっして私有財産を否定しているわけでもないけれど、
それでも自身の心は綺麗であることを、さりげなく主張したものだ。
たとえば、美術評論家として名高いラスキンにこの傾向があるし、
そのラスキンを支持した、
デザイナーのウィリアム・モリスも、人生の後半はマルクス主義者である。
かれら彼女らの手にかかると、
社会主義がマリアの微笑とともにあるかのように、錯覚してしまう。
ガンディーは1987年18歳でロンドンに留学し、6年ほど過ごした、
この時期、ガンディーは、シルクハットかぶって、
ラテン語も、フランス語も学んで、ダンスも習って、
ロンドンに一軒だけあったヴェジタリアンレストランで、
神智学協会 Theosophical Society のメンバーと知り合って、
キリスト教の聖書と、ヒンドゥーの古典、
Bhagavad Gitaを読むことを勧められもした。
と同時にこの時期ガンディーは、トルストイや、ラスキンも読んでいる。
それはガンディーの選択ではあるにせよ、
同時に、英国のインテリが良心の証明のために読む本でもあった。
(その後、アフリカでの弁護士生活を経て、
インドに帰国後のガンディーが、社会運動家になって、
英国との闘争においては、
さすが法律家、実に戦略的でパフォーマティヴな闘争をオーガナイズするようになる。
でも、そんなガンディーが、
独立後のインドをどうデザインするかについてのヴィジョンは、
あまりに夢想家的で、現実離れしていた。
だって、ガンディーは、機械を、医者を、弁護士を否定して、
国民全員に、手紡ぎ車(チャルカ)や手織り布(カディー)とともにある、
自立の道を説く。
なんて夢想的な未来イメージだろう。
対照的に、かれの同士ネルーは、
社会主義に惹かれていたけれど、
ただし、じっさいは、ネルーの関心はむしろ「社会構造主義」(?)というか、
「諸機能の織り成す全体主義」でもいうような、
そんなヴィジョンを持ってたように見える。)
では、英国はどんなことを考えていただろう?
もちろん英国人とてけっして一枚岩ではなく、
その考えもまたさまざまだけれど、
とはいえ、ロンドンに工場が生まれ、
煙突からもくもく煙が昇ってゆく光景が繁栄の象徴である時代にあっては、
いくら英国の労働者が世界一めぐまれていたとはいえ、
その裏面の労働者の苦境が、目に入らないはずはなかった。
だからこそ英国の社会主義思想はそれなりの展開を見せ、
1906年には、労働党が生まれ、
労働党は、保守党に対する一定の抑止力になってゆく。
しかも、1917年にソヴィエト連邦社会主義共和国が誕生した後も、
それは変わることがなかった。
いくらか対照的に、日本は、
日清、日露と勝ち進み、第一次世界大戦で儲けをあげたとはいえ、
日本の民主主義はつねに、きわめて統制された範囲内に押しとどめられていた。
日本のこのバランスは巧妙で、
たとえば1928年に、一方で普通選挙を実施し、国民に政治参加のよろこびを与えながら、
他方で、共産主義を弾圧すべく、議会を通過しなかったにもかかわらず、
枢密院が緊急勅令として治安維持法を改正し、
特別高等警察(特高)をつくって、
街中にスパイを放って、
最高刑は(それまでは十年の懲役から)死刑にした。
ロンドンではともかく、
日本でマルクスとエンゲルスの『資本論』なんて持ってたなら、
それだけで逮捕される恐怖の時代がはじまった。
私有財産制を否定する者は逮捕、禁固五年。
天皇制を否定する者は死刑。
日本の共産党は壊滅的な状態に追い込まれた。
そこいくと、英国は、かぐわしい紅茶の香りをたのしみながら、
社会主義を支持する人たちを容認していて、
だからこそ1931~35年、
英国の首相はラムゼイ・マクドナルド Ramsay Macdonaldで、
かれはスコットランド出身で、もともと労働党の党首だった、
(1931年に労働党を離党していたとはいえ)。
このマクドナルド政権下で、インド法が改正され、
インド国民会議派が地方政治に参加できるようになったことは、
重要ではないかしら。
つづく →
http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53636/目次
https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/