塩の行進
いやぁ、ガンディー・ジー(ガンディーさん)よくぞ歩いたもんだねぇ、
水戸黄門さまだってとてもじゃないけど、そんなたくさん歩きはしない。
箱根駅伝だって片道100キロちょっと。
悪い英国政府によって、6年間も牢屋に入れられていたというのに、
もう体は元気いっぱい。どこまでも歩いてゆける。
実はそれは、大英帝国植民地政府の収入源たる塩の専売に反対する運動で、
ガンディーは多くのインド人たちを引き連れて、
グジャラート州アフマダーバードから
同じくグジャラート南部のダーンディー海岸まで約380km、
参加者全員を引き連れて、歩いて、歩いて、歩いていったのだった。
さすがのガンディー・ジーも、約380kmを一日、二日じゃ歩けない、
なんとこの行進は、3月12日から4月6日まで続いた。
じつはこれ、1930年ガンディーが指導した、
「塩の行進」the Salt Satyagraha の話なんだ。
塩の行進は、英国インド省をおびえさせただろう。
しかも、おりしも1929年10月24日世界恐慌の翌年。
(大恐慌の影響は、その後、十年も続く)。
しかも1930年は、ロンドン海軍軍縮条約の年。
すでにドイツにヒトラー政権が誕生し、
おまけに、アジアでは、大日本帝国が中国で張作霖爆殺事件を起こして、
いまにしておもえば、それは1932年
(大日本帝国が満州国をでっちあげるために起こした)満州事変のプロローグだった。
日本も必死なんだよ、ロシアの南下政策にはそなえなくちゃいけないし、
東アジアは欧米の利権争いで虫喰われ状態。
パワーバランスが少しでも乱れれば、あっというまに攻め込まれてしまう。
ま、そんなひじょうにきな臭い状況があるものだから、
1935年、英国インド省も、ここはひとつ、インド人たちに譲歩。
インド統治法を発布して、
インド人たちにも地方行政に参加できるようにして、
インド人のみなさんの顔色を伺ってみたんじゃないかしら。
なぜって、英国にしてみたら、ひとたび戦争に突入したら、
またインド人のみなさんに前線へ行って、
大英帝国のために戦ってもらわなくちゃならないですものね。
これによって、インド人たちの国民会議派は、
(これまでの在野の政治結社であるのではなく)、
ようやく地方政治を握った。
この時期、すでにネルーが国民会議派のフロントに立っている。
もちろんインド人たちの国民会議派が地方政治に参加することは、
大きな達成だったけれど、
しかし、それと引き換えに、
国民会議派があまりにヒンドゥー色が強いため、
ムスリム層の危機感をつのらせ、
ムスリム層からの支持を失った。
とはいえ、まだこの時期には、
ヒンドゥーとムスリムの関係修復の可能性があった、
という見方もよく聞く。
つづく →
http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53596/目次
https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/