『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(28)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

パリ講和会議は、なにに貢献しただろう?








1919年1月18日パリ講和会議がおこなわれた。
参加メンバーは、
"We shall squeeze the German lemon until the pips squeak"
「我々は、ドイツという名のレモンをぎゅうぎゅう搾ろうじゃないか、種がきしむほどに」
の、英国首相デイヴィッド・ロイド・ジョージである。
続いて、普仏戦争で味わった屈辱を死ぬまで忘れない、
フランスの虎、ジョルジュ・クレマンソー首相である。
日本からは、西園寺「ソルボンヌ」公望、
いまは老人ながら、若い頃からクレマンソーフランス首相としたしかった。
アメリカからは、
十四か条の平和原則を書いて、ドイツを停戦に応じさせた、
宣教師外交の理想主義者、ウィルソン大統領である。





ウィルソンの十四か条の平和原則はビューティフルなお話だったけれど、
気の毒だけれど、この参加メンバーに通じるものではなかった。
なにしろ英国もフランスもイタリアも、
ドイツから賠償金をぶんどって、
戦時中アメリカから借りたカネを返済する腹なのだ。
けっきょく、ウィルソンの十四か条の平和原則のなかから、わずか一条、
「平和のために国際連盟を作りましょう」という提案だけが、採用された。
ただし、英国、フランスの目的は、
世界秩序を乱す、はた迷惑なドイツなど、われわれの奴隷になれ、
ただそれだけだった。







じっさい1919年6月ヴェルサイユ条約の決議にはすごいものがある。
敗戦国ドイツに押しつけられた戦争賠償金は、
1324億金マルク、
1000兆円の賠償金、これを戦勝国に支払え、というのだ。
当時のドイツGNP20年分の賠償金である。
なんと六十年にわたる返済計画である。
しかもウィルソンですら、これに反対しなかった。
これはもう世界経済の危機にほかならない。
ケインズは大いに嘆いた、
「バカか、こいつらは。
ドイツにそんなことして、
いったいどんな未来が待っているかわからないのか!??」、
ま、ケインズは紳士ゆえ、そんなあけすけなことは言わなかったけれど、
それに近いことは言っている。





次に、ヴェルサイユ条約の決議は、ドイツの徴兵制を廃止させた。
ただし、志願兵制度は認める。
陸軍10万人まで、海軍は1万5000人まで。
飛行機、潜水艦は禁止。




さらには、領土問題においては、オーストリアを粉砕し、
ソヴエトとの境界領域を干渉領域とし、
アルザス、ロレーヌをフランスに返すことを要求。
おまけに、ドイツが太平洋にもっていた植民地をすべて英仏に返し、
それらは日本が統治する。
山東半島青島も南洋諸島も、日本のもの。






さて、日本にとっては、ヴェルサイユ条約は結構なことながら、
日本がよろこんでいたのもつかのま、
アジア利権の奪い合いのなかで、
1921年ワシントン会議は、列強による日本粛清の場となり、
日本はアメリカから軍縮を要求され、
さらには英国から、日英同盟を破棄された。
これは英国の国力の衰えが、
アメリカに一歩引く形となったのではないかしら。
英仏同盟が破棄されてしまえば、
日本は孤立し、ドイツの二の舞になりかねない。
関東大震災の二年前のことである。








つづく  → http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53287/
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