『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(27)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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第一次世界大戦







そうこういっているうちに第一次世界大戦である。
まさかこの戦争がヨーロッパを壊してしまうなんて、
開戦時に、いったい誰がおもったろう?
しかし、第一次世界大戦は、
毒ガス、戦車、戦闘機を駆使した、まぁ、たいへんな戦いになった。
しかも国民総動員である。
兵士たちは身の安全を確保しながら戦うために、
身を隠すべく、穴だの溝だのを掘りながら進む、
兵士は戦場で、みんなして、穴だの溝だの掘っていて。
戦争やってんだか、地下鉄工事やってんだか、わからない。
西部戦線に掘った塹壕の総距離は、なんと地球を一周するほど。
しかも地下鉄工事なら安全が保証されているけれど、
戦争は、いつ殺されるかわからない。
戦争が終わったときには、欧米では一千万人が死に、三千万人が負傷したのだ。
そして、ヨーロッパの黄金時代は終わった。








では、順を追って話そう。
第一次世界大戦のきっかけは、
1914年6月、セルビアの民族主義者が、
ボスニアの州都サラエヴォで、
オーストリア皇太子のフェルディナント大公夫妻を暗殺したこと。
もともとサラエヴォは、セルビア人(スラブ・ロシア系)の土地で、
そこをオーストリアに奪われた、そんな経緯があった。
しかも、フェルディナント大公は、王室関係者が止めるのも聞かず、
チェコ人の女官(という身分の低い美女)と結婚。
ただし、同じスラブ系とはいえ、
チェコは多数派で、セルビアは少数派、文化も違う。
微妙な問題がわだかまっていた。
しかもセルビア民族主義者たちは、
オーストリア皇太子のフェルディナント大公夫妻を殺害した、
その武器が、セルビア政府の支給品であったことを自白した。
(ただし、セルビア政府の関与のあるなしは定かではない)、







これに怒ったオーストリアが、さっそくセルビアに宣戦布告、
ドイツも、セルビアに戦争に参加。
ドイツ、イタリア、オーストリアは三国同盟を結んだ、
他方、英国は、ロシア、フランスと、
植民地を持つカネ持ち同士で、三国協商を結んで、
鬱陶しいドイツを牽制した。(1907年)
(イタリアは翌年、三国同盟を破棄し、
英国、ロシア、フランスの側に寝返った)。
この構図のなかで、ロシアとオーストリアが睨み合っていた。






第一次世界大戦は、総動員戦争である。
もちろん大英帝国は、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランド、南アフリカ、
そしてインド人にも協力を求めた。
どこの国も、国民に将来の希望を保証して、徴兵する。
大英帝国は、インド人を徴兵するにあたって、
「この戦争が終われば、インド人によるインド自治を約束する、
だから、きみたちインド人も、英国のために戦ってくれ」と言った。
これを受けて、ティラクもガンディーも、
そしてムスリムのムハンマド・アリー・ジンナーMuhammad Ali Jinnahも、
大英帝国への支持を打ち出した。
ガンディーは英国に協力し、インド人志願兵の募兵まで行った。
ところがである・・・いや、その話は戦後の話題だ。








アメリカはウッドロウ・ウィルソン大統領の時代である。
ウィルソンは牧師の息子で、歴史学と政治学を学び、
プリンストン大学の学長まで務めたインテリである。
もともと「宣教師外交」をモットーにしていて、
開戦二年目の1916年、
ウィルソン二期目の選挙キャンペーンスローガンは、
"He kept us out of war"
「わたしたちが戦争と無縁でいられたのは、ウィルソンさんのおかげです」。
しかし、そのウィルソンも再選され、
1917年、ドイツが商船を警告なしに沈めはじめると、
それまでの不戦主義を捨て、
南北戦争以来、初の徴兵を実施し、参戦し、
英国、ロシア、フランスの味方についた。





ついでながら大日本帝国は、
日英同盟を口実にちゃっかり参戦し、
ヨーロッパが戦争で大変ななか、
火事場泥棒のように、
アジアでドイツ領だった山東半島を占領し、
その地の鉄道を押さえた、
(しかもすでに日清戦争で台湾を、
日露戦争で旅順、大連を、
そしてその後は、韓国も領有していて)
おまけに、今回は、山東半島のみならず、
同じくドイツ領だった南洋諸島も占領し、
ロシアの南下政策への備えは着々と整いつつある。





おまけに日本は世界各地への輸出が増えて、
戦争中に工業生産は5倍にも増えた。
なぜなら、ヨーロッパの工業製品がアジアに届かない、
アジアの工業国は日本だけ。
綿布をアジアに売って、シルクはアメリカに売った。
海運業が伸びた。
日本だけはウハウハだった。






ロシアでは、西部戦線でドイツにボコボコにされ、死者続出、
にっちもさっちもいかなくなって、
レーニンは、11月の政変で、どさくさにまぎれて帝政を倒し、
ソヴィエト政権を成立させ、1918年3月単独でドイツに降伏した。
翌月ドイツ・オーストリアでも革命がおこって、皇帝が退位。
11月にアメリカの、ウィルソン大統領は、
いかにも宣教師外交がモットーの政治家らしく、
ひじょうに紳士的な、十四か条の平和原則を提示し、
これをドイツが受け入れ、
第一次世界大戦は休戦が成立した。
(ただし、この十四か条の平和原則は、
後のヴェルサイユ条約で、
フランスと英国によって、
ほぼ無視されることになるのだけれど)。









さて、インドの戦後は、どうだったろう?
第一次世界大戦の戦死者一千万人、死傷者は二千万人と言われていて、
そのうち、百万人以上のインド人が、
西部戦線、ガリポリの戦い、メソポタミア戦線、カッタ包囲戦で戦死した。
しかも税金は重く、物価は上がる、社会の矛盾がいたるところで噴出した。







つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53276/
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