『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(24)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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英国人、トラウマの克服






イルバート法案に反対者した英国人たちが想起したのが、
1857年インド大反乱のとき、
インド人がイギリス女性たちを陵辱した悪夢だったことは、
いかにも象徴的なことだった。




インド大反乱で殺された英国人は四百人、
英国駐留軍に、殺されたインド人は十万人なのだけれど、
しかし、英国人にとっては「不意打ちの反乱を起こしたのはインド人」であり、
平穏な日常を血まみれにされた恐怖は、
ことあるごとに甦るのだった。
しかもインド人の自治への要求の高まりは、
英国人にインド大反乱の悪夢をおもいださせ、苦しめたのだろう。





英国人は、インド大反乱 Indian Rebellion から、
なんと四十年たった1899年、
ウッタル・プラデーシュ州カーンプル Kanpur に、
殺された英国女性たちとコドモたちのための霊廟を作っている。
カーンプルは、インド大反乱のとき、
マラータ同盟を解体された、
王国最後の将軍ナーナー・サーヒブ Nana Sahib 軍が、
反乱を起こし、英国人女性たちを陵辱し、コドモたちも殺し、
遺体を井戸に投げ込んだ場所として知られる。







四十年まえのことゆえ、とっくに井戸は存在しないけれど、
井戸の跡地に作られた霊廟は、The Memorial Wellと呼ばれて、
1903年、イタリア人彫刻家カルロ・マロケッティが、
十字架の前で羽を広げた女性の天使を、大理石に彫り上げた。
四十年まえのヨーロッパ人死者のための霊廟である。





バーバラ・D・メトカーフとトーマス・R・メトカーフ著
『インドの歴史』(創土社2006年)は、公平に、書いている。
「19世紀後半のカーンプルは、イギリス人旅行者たちの『大反乱ツアー』の
目玉として脚光を浴びた。おもな旅行日程は、まず観光の目玉として、
反乱中最後までユニオンジャックを降ろさなかったイギリス行政官邸を訪ね、
その後、カーンプル、デリーを観光するというものであった。
この大反乱体験ツアーは、イギリス人の精神を浄化し、
みずからがつねに自己主張すべき英雄的人種とまずは実感させ、
優越人種であるイギリス人にインド支配の権利があることを再確認させた。
ラクナウにあるヘンリー・ローレンスの墓碑銘には、故人の遺志により、
こう書かれているーー「義務を果たそうとした者ここに眠る」」







つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/53132/
目次 https://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/161891/
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