『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(19)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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鉄道敷設と大学教育は、大英帝国のインドへの贈り物、か?






いまにしておもえば、ダーウィンの『種の起源』1859年こそが、
十九世紀のベスト・ヒット・フィロソフィーではないかしら。
ダーウィンは考えた、
この星には多種多彩な生き物が生きている、
長い長い歴史のなかで、消えてしまう種もたくさんあった、
なぜなら、生き物にも、強い種と、弱い種があって、
それは遺伝だったり、淘汰によるものだったり。
そしてわれわれもまたこの淘汰の過程、
すなわち進化の過程を生きているのだ。
ざっと、まぁ、そんな話で、
よくよく話を聞いてみると、
そこにはいかにも産業革命と帝国主義の十九世紀社会の現実の反映があって、
ダーウィンの進化論が大受けしたのも、とうぜんだった。





もちろんダーウィンは、白人はインド人より偉い、なんてことは一ッ言も言ってない。
けれども、当時のヨーロッパ人たちは、ダーウィンを読もうが読むまいが、
自分たちは、インド人よりも、人種として優れた存在である、
と、固く信じていただろう。
人力車よりも馬車が偉い、馬車よりも蒸気機関車がもっと偉い、
その蒸気機関車を発明したわれわれはもちろん偉い、
ざっと、まぁ、そんな理屈である。




ヨーロッパ人たちのある者たちが、
インドの古代文明に賛美を奉げるのも、
自分たちの現代文明の優越性への自負ゆえの余裕だったろう。









しかも、21世紀、文化相対主義の時代にあっても、
こうした偏見からすべての人が解放されているとはとうていおもえない。
たとえば、「日本は、マシュー・ペリーのお陰で近代化できて良かったですね」、
なんて言うアメリカ人はさずがにいないだろう、
なぜって、いまのアメリカ人にとってマシュー・ペリーったら、
"The Ron Clark Story"の熱血先生しか知らないもの。
しかし他方、ロンドンのズーズー弁で、
「インディアは、イングランドのお陰で立派な国になれたんだもの、良かったのよ」
なーんてことを言いそうなおばちゃんたちは、
いまだにけっこう多そうだ。ひどい話だねぇ、と、まずはおもうけれど、
とはいえ、でも、だからといって、その意見を全否定することもまた、難しそう、
インドの法律の整備、裁判所の設置、鉄道敷設、大学教育の開始、このあたりを考えるとね。






まず、大英帝国がインドに鉄道敷設をおこなったことをおもいだしてみよう。
かれらの鉄道敷設は、沿岸部マドラス、ボンベイ、カルカッタと内陸各地を結んで、
インドからくまなく搾り取るため。
インドでの物品の輸送も円滑迅速になる。
しかも、英国人は、資金調達にあたって、
1849年から1970年まで、
(英国の国策として)年利5%しかも元利保証つきのインド鉄道債券を発売し、
英国の鉄道会社十社がこの制度の恩恵を受けたとか。
(この時期、英国は、財テクブームに沸きかえり、
ロンドンの兜町シティは、多彩な金融商品を扱う時代になっていた)。
しかも鉄道敷設は、大英帝国の企業各社がおこない、
インド企業の出る幕はなかった。





他方、インド人にとっては、
この鉄道敷設による遺失利益は絶大だった。
大英帝国は、低い関税率でインドの鉄の輸入し、
インドには、英国製工業製品をどんどん輸出した。
これがインドの鉄鋼業の発展を遅らせた。
その上、インドの工場は、英国の高価な機械を売りつけられ、
まわりまわって、インド人労働者が安く使われることになる。





タタ・グループの創始者ジャムシェトジー・タタは、
なんとしてもインドの、インド人による、インド人のための製鉄所を作りたかった。
しかし、長いこと実現できず、
かれがインド東部ジャールカント州ジャムシェドプルに、
製鉄所を完成したのは、
1907年、ジャムシェトジー・タタの没後3年後だった。
なお、そこには(悪名高い)インド総督カーゾンの助力があったそうな。







次に、1857年、かれらはカルカッタ、ボンベイ、マドラスに大学をつくり、
インド人たちに、ヨーロッパスタイルの教育をほどこしたこと。
もちろん英国人は、自分たちが使いやすいインド人を作るために大学をこしらえたんだけれど、
これによって、インド人にもいくらかなりとも官僚への道が拓かれもしたし、
たとえ英語教育を受けたインド人は、全人口の1%にも満たなかったにせよ、
それでもかれらインド人たちは、英語を学ぶことで、
さまざまな地域のさまざまな言語をしゃべるインド人同士が繋がることができた。
これは大きい。
さらには、インド人たちは、ヨーロッパ式の教育によって、
法学も、啓蒙主義も、ナショナリズムも、フランス革命も、学んでいった。
あきらかに、ヨーロッパ式の教育はインドを変えたのだった。





なるほど、「インディアは、イングランドのお陰で立派な国になれたんだもの、良かったのよ」
というロンドン下町のおばちゃん説にも、それなりの説得性はありそう。
たしかにこの世界には、悪から生まれる善もまたあるものね。





つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/52797/
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