『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(12)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

ヴェルサイユ宮殿と、血まみれギロチン・フランス革命









ヨーロッパで、テーブル、椅子、チェストなどがお洒落になって、
(たんに用が足りればそれでいいのではなく)、
美的な趣味の対象になったのは、
1682年、フランスでルイ14世がヴェルサイユ宮殿を建ててからのこと。
なお、フランス語の tableau という語は、
平面であることを軸に、
板、表、名簿、食卓、絵画をともに意味するそうな。
このたんじゅんな語が、さまざまに大事な意味をそなえる、
そこに1700年代という時代の、文化的発展がうかがえる。
テーブルを囲んで、
議論が生まれることが文化的なことであり、
語と世界の関係を整理して、百科辞典を作ることが知性の現れであり、
ルネサンス期のイタリア人をまねして、
壁に絵を飾ることが、お洒落なライフスタイルになった。
すなわち、tableau という語に、
1700年代の時代精神が集約されているそうな。






神童時代のモーツァルトがオーストリアの宮廷で、
例の、天才少年の神業を披露して万雷の拍手を浴びた後、
床に滑って、転んで、
当時オーストリア皇女のマリー・アントワネットが
ほっそりした白い優美な手を差し伸べて、少年モーツァルトを起こした。
すると、少年モーツァルトは言ったものだ、
「あなたはなんてお優しい方でしょう、
わたしは大きくなったら、必ずやあなたと結婚します」
マリー・アントワネットの花のような微笑が見えるようだ。
そんな時代は、1789年に、永遠に終わりを告げた。








フランス革命のスローガンは、
「自由、平等、友愛、さもなくば死を」で、
政治をそっちのけにして、
贅沢な暮らしにうつつを抜かすルイ15世と
マリー・アントワネットの首を斬り落としたのみならず、
体制側の人間たちの首を次から次へと落としてまわった。
ロングヘアの鬘に、絹のジュストコールを着て、ハイヒールを履いて、
贅沢を愉しんだ男たちも、
髪型の上に帆船を飾って、
後ろを大きくふくらませたシルエットのスカートの裾をひきずって、
舞踏会で踊った美女たちも、全員、殺害された。
もっとも革命は成功したものの、
しかし社会は混乱で収拾がつかなくなって、
二十代そこそこのナポレオンが力づくで抑え込んだ。
ナポレオンは政治手腕を買われ、出世してゆく。







ナポレオンにとってベートーヴェンなど知ったこっちゃなかったけれど、
しかしベートーヴェンは、ナポレオンに熱狂した。
なぜなら、ベートーヴェンは、
作曲家という仕事を、王室御用達の家具職人、仕立て屋、美容師とは、
比べられないほど優れたものと考えていて、
だからこそ、フリーランスの作曲家として、
作曲という労働に誰よりも精を出し、曲の質を高めた。
しかし、しょせんベートーヴェンは高額のギャラを稼ぎ出す、
出入りの業者にすぎない。
ベートーヴェンは、来るべき市民社会を夢見た。
ベートーヴェンは、ナポレオンに、
われわれを(!)階級から解放してくれる英雄を見た、
交響曲3番『エロイカ』(1804年)を捧げるつもりだった。








ところが1803年からナポレオン戦争がはじまって、
ナポレオンは、調子づいて、
ナポレオン法典を片手に、
正義の輸出として、ヨーロッパ中の、市民を解放してまわるべく、
戦争をしかけてまわった。
ナポレオン法典には、
「万人の法の前の平等」
「国家の世俗性」
「信教の自由」
「経済活動の自由」が、書かれていた。








スローガンは立派なものだけれど、
その実際は、フランス帝国主義の侵略者にすぎない。
案の定、1807年7月、ナポレオンは、ドイツの一部を奪った。
ベートーヴェンは髪をかきむしって叫んだ、
あぁ、忌々しい、あのコルシカ島生まれの大悪党め、
そして、ナポレオンへの献辞を破り捨てた。






ナポレオンは、ウォータールーの戦い(1815年)で、
イギリス軍にとどめをさされ、
さらにはイギリス人は、ナポレオンをセントヘレナ島へ島流しにした。
ナポレオンはぶざまな晩年をすごし、死んだ。







さて、晩年のベートーヴェンは体調も悪く、
生産性も乏しかったけれど、しかし、
ナポレオンが死んだニュースを知るやいなや、
がぜんベートーヴェンの胸にとめどなく勇気湧き上がり、
わはは、わはは、わはははは、と高笑いを続けながら、
五線譜に鵞鳥のペンを走らせ、
最期の交響曲、『歓喜の歌』(初演1824年)を書きあげた。





ふたりはいかにも同時代人だ、
ナポレオンは、経済を王様のためのものではなく、
個人の自由の拡張のためのものである、と定義し、
ベートーヴェンもまた、芸術を王様のための奉げものではなく、
個人の表現として定義した。
そのとき十九世紀は、はじまったのだった。






時まさに、大英帝国が、七つの海を支配した、と言われた時代だった。





つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/52016/
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