『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(11)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

ベンガル最高裁の判事ウィリアム・ジョーンズとその時代







英国人たちだって、インド人を土人と考え、
白人サロンで利権を守り、インドをカネづるに考えている者ばかりだったわけではなく、
ちゃんと、インド文化に深い関心を寄せる人物もいた。
ベンガル最高裁の判事を勤めた、
ウィリアム・ジョーンズ(Sir William Jones、1746年- 1794年)、
かれはものすごく語学の才に秀でていて、
さまざまな言語を自在に操った。
かれはオックスフォード大学を卒業して、
イギリス東インド会社の雇われて、
カルカッタの上級裁判所の判事として赴任した。
しかも、かれはいかにも貴族らしく、学問への情熱もやみがたく、
ベンガル・アジア協会を設立して自ら会長となり、
1786年に、こんな学説を発表した。
<古代ギリシア語およびラテン語と、インドの古語のひとつ、
サンスクリットは、共通の先祖を持っているに違いない>。
ウィリアム・ジョーンズのこの説は、
一世を風靡し、言語学誕生の契機となった。
ここでいう言語学とは、地球上のあらゆる言語の背後に、
ひとつの統一的法則が隠されているのではないか、
と探求する学問という意味での言語学であり、
それは、ウィリアム・ジョーンズとともに誕生した。
さて、
<古代ギリシア語およびラテン語と、インドの古語のひとつ、
サンスクリットは、共通の先祖を持っているに違いない>という知見に、
ウィリアム・ジョーンズ自身は、
ただ純粋に自分の発見に驚いていただけで、
政治的意図などまったくなかっただろうけれど、
とはいえ、かれの意図とは無関係に、
この説ほど植民地経営に都合のいい説はなかっただろう。







なお、ウィリアム・ジョーンズの同時代人には、
『国富論』を書いた経済学者アダム・スミス(1723年 - 1790年)や、
『ローマ帝国衰亡史』を書いた歴史家エドワード・ギボン(1737年 - 1794年)、
はたまた政治家で、なおかつゴシック小説『オトラント城奇譚』を書いた
ホレス・ウォルポール(1717年9月24日-1797年)がいる。
アダム・スミスは考えた、
インド植民地経営の利益と、イングランド国内産業の利益の共存の道を。
ギボンは、栄光の古代ローマ帝国の滅亡の原因を、
キリスト教を国教にしたことに見た。なるほどそれは真実であるにせよ、
とうぜんギボンには、英国国教会の市民としての誇りと、
クリスチャンへの反感もまた生きていただろう。
ウォルポールについては、
(この時代の政治家は、趣味があって、優雅だなぁ)、と、ただただおもう。






この時期、ブリティッシュの第4代インド総督リチャード・ウェルズリーは、
1800年(~1854年まで)、
カルカッタに、フォート・ウィリアムズ・カレッジを作り、
インドでの業務に着任するまえに、
社員にインド諸語およびインド学を勉強させた。
その後、1807年、かれはUK本国に、ヘイリーベリーにカレッジを作り、
同様の社員教育をほどこした。
カレッジでは、ペルシア語、ヒンドゥー、ベンガル語、アラビア語、
サンスクリットの授業がおこなわれ、文化交流センターの趣を呈したそうな。
この改革は、UKの徴税業務を、軌道に乗せたそうな。







つづく → http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/52009/
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