はじめに。
インドは、なにもかもがばらばらだ。
言語にしても、一般に国語とおもわれているヒンディにしたところで、
わりとつうじるのは北インドだけで、
南インドではヒンディはけっしてみんなにはつうじないらしい。
インドという国は、なにしろ各州の公用語が18種、
準公用語まで含めると言語が22種あるとんでもない国で、
なお、その22の言語はけっして方言ではなく、読み/書きの表記体系が違うのだ。
しかも方言の違いまで細かく数えれば、
インド諸語は800とも1600とも言われる。
それぞれの地域は、おおよそ言語別にまとまっているため、
したがって、地域ごとの文化の独立性が高く、
逆に言えば、国家インドはつねにいついかなるときもまとまりが悪い。
宗教もまた多彩きわまりなく、
インドという国の名の語源が、ヒンドゥスタン、
すなわちヒンドゥーの国であるとおり、
大多数はヒンドゥーながら、
しかし、同時にイスラーム、ジャイナ、シク、キリスト教もまた共存している。
そんなわけで人の数だけ違ったインドがあって。
都市では、綺麗な若い女がジーンズで闊歩している。
スーツの似合うインド人が「綺麗な」英語をしゃべってる。
リクシャのドライヴァーが、きょくたんに r を巻いた、
ユーモラスな、ズタボロな英語をしゃべってる。
ドット・コム・ピープルは、年収競争に命をかけ、
息子や、娘をイギリスか、アメリカの有名大学に入れてやりたい、とおもう。
他方、リクシャのドライヴァーは、
朝から晩まで埃まみれになって働いても稼ぎは知れているし、
病気になったら、収入はない。
公園の樹の下で、顔剃り屋をやっている男は野宿の暮らしだ。
ポストモダンな高層マンションで、
5歳の頃から受験戦争の戦士になっているコドモたちがいっぱいいるかとおもえば、
道路沿いのチャイ屋で働く10歳の男の子は学校へ通ってない。
店の前の道路をエアコンを効かせたメルセデス・ベンツが駆け抜けてゆく。
「果たしてインドは存在しているのだろうか、
もしも存在していないなら、なにがパキスタンとバングラデシュを分離させているのだろう?」
それはサルマン・ラシュディがどこかで言ったらしい言葉だ。
インドは、いったいどういう経緯で、生まれてきたんだろう?
英国近代史とインド近代史の500年のなかから、いったいなにが見えてくるだろう?
つづく →
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