民主主義と産業革命と略奪貿易の時代
イングランドでは、
王様が持っていた全権を、
少しづつ制限し、市民がそれを奪い取ってゆく形で、
段階的に、民主化が進んだ。
その民主化の達成が、
1688年から1689年にかけて、
ジェームズ2世が王位から追放され、
ジェームズ2世の娘メアリー2世とその夫のウィリアム3世が、
イングランド王位に即位した時、
憲法が生まれたことである。
かれらは議会制民主主義を成立させた。
それは、このとき発布された権利の章典で条文化されている。
(なお、ここで興味深いことは、
条文の最後に、「王位継承者からカトリックを排除すること」が記されていること。
いやはや、イングランドの意地と言うほかない。)
すでにイングランド東インド会社は、
1639年、インド東海岸の拠点として、マドラス(現チェンナイ)を押さえている。
さらに、1697年、それまでのスーラトから、
少し南のボンベイ(現ムンバイ)に、インド西海岸の拠点を移した。
1690年、イングランド銀行が設立し、
国債の発行もはじまった。
1697年には、貨幣の改鋳もおこなわれ、
金本位制も成立している。
「ロンドンの兜町」シティは、素朴な形ながら、ようやく発展をはじめた。
1701年王位継承法によって、裁判官の身分も保障され、
ひとまず、法治国家、民主主義の国になった。
1702年には、世界初の日刊新聞、
「ポスト・ボーイ」、「デイリー・クーラント」の二誌が創刊され、
ロンドン、シテイ地区のセント・ポール寺院に、
立ち並ぶ本屋とともに、新聞も並びはじめた。
そして1707年、イングランド王国とスコットランド王国が連合条約を結んで、
国の名前も、Great Britain になる。
しかもニュートンが70歳になった頃、
グレイト・ブリテンに最初の蒸気機関が現れたことだった
石炭やまきを燃やして得た「熱」で、
水蒸気を作り、その蒸気の圧力が、
馬よりも、奴隷よりも、遥かに大きな仕事をしてくれる、
これはなんとも天変地異の発明だった。
こうしてかれらはようやく、
栄光の古代ギリシア、ローマ文明に対する長年の劣等感から(いちおう)解放された。
他方、1700年代前半になるとブリティッシュ海軍の財政が悪化した。
しかしながら、政府は、債券で海軍に融資する方法を編みだし、
この危機を乗り越えた。もちろんかれらは誰よりもわかっているのだ、
圧倒的な力を持つロイヤル・ネイヴィーあってこその、
グレイト・ブリテンであることを。
そしてかれらの東インド会社は、
スパイス、コットン衣類、紅茶のみならず、
インディゴブルーで有名な染料インディゴ、
爆薬作りに欠かせない硝石など多彩な商品を扱い、
商売を軌道にのせていた。
すなわち、フランスがルイ14世の栄華を堪能している頃、
イングランドは民主主義の国になって、
グレイト・ブリテンになりあがって、
産業革命を成功させ、
抜け目なくインド支配を進めていったのだった。
つづく →
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