『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(7)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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啓蒙主義と、おっぱいもろ出しの17世紀






1660年、イングランドはふたたび王様の時代に戻り、
チャールズ二世の御世を迎え、王室ファッションの流行も変わる。
宮廷の女たちにとって、
エリザベスが流行させた(?)でっかい襞襟は、
とっくに時代遅れになっていた。
当時のファッションは、
まずは、高く高く高く山のように盛る髪型。
そしてクジラの骨のコルセットで胴を締めあげ、
一方で、胸のふくらみをとことん強調し、
他方で、鳥籠のようなパニエで腰をふくらませ、
その上にペティコートを三枚重ねで身につけ、
花のように開いたスカートを穿いて裾ひきずって歩いた。
(ローブ・デ・コルテは、この時代に生まれた。)
こうしたイギリス王侯貴族のファッションは、
同時代のルイ14世のフランス発の流行だった。






しかも、ローブ・デ・コルテに見られる、胸のふくらみの強調は、
さらに進んで、おっぱいもろ出しの流行さえ生んだ。
エドゥアルト・フックス著『風俗の歴史』(角川文庫)によると、
なんとチャールズ二世の宮廷では、
淑女たちは誰もみな、競い合うように、
おっぱいもろ出しだったそうな。
たのしそうで素敵だけれど、とはいえ、まるでSMクラブさながらの光景である。
それどころか、淑女がおっぱいもろ出しで、パリを歩く光景さえ流行したという。












なお、この1670年代から80年代にかけて、
イングランドでは、インドのコットン衣類が大人気、
ヨーロッパの麻に比べて安いし、染料の発色もいい、
あざやかで綺麗、着ていて気持がいいし、洗濯もかんたん。
インドコットンは、受けちゃって、受けちゃって、
キャリコ・フィーヴァー calico fever なんて言われた。
calico という語には、インド南部のケーララ州の「カリカットの布」というニュアンスがある。
しかも、インドコットンのみならず、
インドのシルクや、美しい刺繍の入った衣服もすばらしく、
イギリスでもヨーロッパ大陸でも、中国でも、日本でも、
アラビアでもアフリカでもよく売れた。





東インド会社は、インド人にイングランドのウールを売りつけるつもりだったらしいけれど、
なるほど、イングランド人なら、
エスキモーからだって地税を巻き上げて、冷蔵庫だって売りつけるだろうし、
たしかにインドだってヒマラヤの方は冬は寒いにせよ、
とはいえ、インドでウールは、そうそう売れなかっただろう。
けっきょく、イングランド東インド会社は、
インドに自国の銀を大量に払うことになり、
インドからの輸入を拡大させてしまった。
(イングランドのコットンが圧倒的な競争力をつけるのは、
産業革命まで待たなければならない)。







なお、この時期、1664年と1670年、
ヒンドゥーのマラータ王国が、
ムガル帝国の港街たるスーラトを二度にわたって襲った。
マラータ王国の人たちは、白いドーティ・クルタを着て、
頭にターバンを巻いて、いかにも右手の三本指を優雅に使って料理を食べる、
まさにインドっぽい人たちで、
兵隊の場合は、腰に短剣を差し、右手に長い槍を持っている、そんなイメージ。
なお、この時期はマラータ帝国の黄金時代、
版図は、パンジャーブからカルナータカ、
インダスからオリッサまで広がり、
さらにはこうしてムガル帝国最大の港街にまで攻め込んでいた。
スーラトの没落がはじまった。




1687年、イングランド東インド会社は、
拠点をスーラトから、南に下った港街、ボンベイに移した。






つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/51600/
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