『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(4)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

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エリザベス女王の闘い







さて、ようやくイングランドがまともになる(?)のが、
エリザベスが女王陛下になってからである。
エリザベスは、ヘンリー8世の妻という悲劇を生きたひとりであるところのアン・ブーリンの、
その娘である。
タイヤの形の襞襟に首を突っ込んで、
ウエストにもタイヤ形のはりだし(ファーチンゲール)をつけて、
スカートを釣鐘形に膨らませた女王は、
苦難の時代を、けなげに、聡明に、そして勇敢に生きた。
エリザベス女王は、困難な時代に女王になった。
なにしろスペインとポルトガルがはじめた新しいゲームによって、
銀をどれだけ持っているか、
それが国家の値打ちを決める時代になった。
しかし、イングランドは、出遅れていた。
なんとか経済を立て直さなければならない。
特権商人たちに、貿易の独占を認め、
かれらを保護し、かれらを資本家に育てていかなければならない。
しかし、イングランドには、まだそのためのシステムが整っていなかった。
その上、プロテスタントは諸派に分裂していた。
まず、宗教を統一しなければ、植民地商売がうまくゆくはずもない、
なぜなら、宗教がばらばらでは、現地人をうまく洗脳することなどできるはずがない。





エリザベス女王は、まず
1566年、ロンドンのシティ地区に王立取引所 Royal Exchange を開いた。
残念ながら、当時は、
偽・古代ローマのパンテオンふうの建物ではなかったけれど、
(あれは、1884年に建て替えられたもの)。
とはいえ、その業務内容はメディチ家の銀行業務を大きく発展させたもので、
ここで、為替手形、預金証書、各種の公債などが取り引きされるようになった。
当時はコーヒー豆なども運び込まれ取引されたそうな。(地下には大きな倉庫がある。)






次に、1559年、礼拝統一令 Act of Uniformity を発布し、
イングランド国民の非カトリック化を徹底させた。
すなわち、国教会の信仰の強制がはじまった。
エリザベスの政策は大いに成果をあげたものの、
ただし「改革」を唱えながらも国教会の教義は、
ほとんどローマ・カトリックと変わらない。
それゆえ、まじめな連中は、
これではぜんぜん「改革」になってないじゃないか、
と「真の改革」を要求した。
むろん国教会のお偉方はかれらをうるさがった、
「あいつらは、聖書に基づいた改革、改革と要求するけれど、
いまどき聖書に書いている通りになんてできるわけないだろ、
この純粋気取りの偽善者どもめ!」
そして、かれらを“puritan”と呼ぶようになった。
なお、かれら自身は、“Saint”(選ばれし者)を自称していたのだけれど。
そう、この時期に、その後の火種がめらめら燃えはじめていた。




1577年~80年にかけて、
フランシス・ドレーク、「悪魔の化身のフランシス」の名を持つ海賊が、
喜望峰をまわって、太平洋から、インド洋をまわって、世界一周をおこなった。
かれは、当時のイングランドの国家予算の3倍の財宝などを
略奪して持ち帰ったゆえ、エリザベスはかれにナイトの称号を贈った。




エリザベス女王は、商業活動においては、
彼女の民たる海賊たちに、スペインの船からばんばん略奪しちゃいなさい、
と略奪を奨励した、もちろん、上がりの一部を女王に上納する条件で。
エリザベス女王はなにしろ銀が欲しかったのだ。
銀のためなら略奪も辞さない。
そもそもいまや、イングランドは「誇り高い」プロテスタントであり、
スペインは、「怠惰な」カトリックである、
かれらからの略奪ならば、神様も褒めてくださるに違いない。
ま、あけすけにいえば、そういう理屈である。




スペイン人とて、中南米の原住民からの略奪ならばいつものことだ、
しかし、まさかヨーロッパ人同士で、
しかもスペインとイングランドは戦争しているわけでもないのに、
何度となく略奪されるなんて、いかにも不自然である。
いったいどうしたことだろう?
スペイン人とて、まさか、女王陛下公認の略奪とはおもわない。
さて、スペイン人が真実を知ったとき、怒り狂ったのも当然である。
1588年、無敵艦隊の来襲である。
それはスペイン人の、
(おれたちの船から好き放題ばんばん略奪しやがって!)という怒りのみならず、
かれらローマ・カトリックとしての、
ローマ教皇にたてついたプロテスタントたる、
イングランドへの怒りの表現でもあった。





エリザベス女王は、堂々たる演説で、イングランスの兵隊の勇気を鼓舞した、
「わたしはあなたたちのなかにやって来ました、
遊びでも気晴らしでもなく、
戦いの熱気の真っ只中で、
あなたたちの中で生き、そして死ぬために。
たとえ塵となろうとも、わたしの神、わたしの王国、わたしの民、わたしの名誉、
そしてわたしの血のために。」
エリザベスは続けた、
「わたしが指揮官、審判官となって、
あなたたち全員の戦場での勇気に報いましょう。
わたしは知っています、あなたたちの勇気は、報酬と栄誉に値することに。
わたしは国王の言葉において約束します、
あなたたちは正しく報われます。」
そしてイングランドはスペイン無敵艦隊を撃破した。



さらには、1592年、イングランドは、
インドから帰航中のポルトガル船を拿捕し、
かれらは船のなかの文書から、ポルトガルの海洋海賊活動の実態を知った。



しかもエリザベス女王は、法律を整え、国語としての英語を、共通語にした。
こうして条件は、整っていった。
ヴァージンクイーンはやれるだけのことはすべてやったのだった。







つづく →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/51439/
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