『ヨーロッパのはずれの島と、象の顔の形をした大きな大陸の歴史(3)』ジュリアス・スージーさんの日記

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ジュリアス・スージー (男性・東京都)

日記詳細

ヘンリー8世は自分のことしか考えてなかった、か?







もしもヘンリー8世(在 1509年- 1547年)と最初の妻キャザリンのあいだに、
男児が生まれていたならば、
英国国教会は誕生せず、
したがってピューリタンも生まれず、
生まれないわけだから迫害もされず、
したがって、アメリカへ渡ることもなく、
世界史は、いまとはまったく違っていた可能性が高い。
ま、そんなことを考えるのは、他愛もない遊びだろうけれど。






肖像画のなかのヘンリー8世は、
鼻の下と顎にヒゲをはやし、
肩にパットの入ったマントのようなガウンのようなものを着て、
その下にはワンピースのスカートのようなものを穿き、
しかもそのスカートは、おちんちんをもっこりさせた形の、
ブラゲットなる珍妙なものを提げている。
(スカートの下には、タイツを穿いている。)







ヘンリー8世は、
親父のヘンリー7世が武器を独占し、
他方で、イングランド中の私兵を廃止してくれたお陰で、
18歳で王様の座についたときから、
王様の特権を満喫していた。
ヘンリー8世は、ラテン語、スペイン語、フランス語を操り、
ダンスも上手、馬上槍試合にも秀で、作曲も愉しんだ。






しかし、そんなヘンリー8世にも、悩みはあった。
生涯6人の妻をめとることになるヘンリー8世が、
1509 年、最初の妻、 スペイン王女の、キャザリンと結婚したものの、
しかし、男児ができない。
(キリスト教国では、正式に結婚した妻から生まれた子でなければ、王位を継げない)、
もしもこのままヘンリ8世に男子ができないと、
王位は、妹の子のスコットランド王家か、
あるいはは、娘が史上初の女王即位かになることになる。
ヘンリー8世は、いずれも避けたかった。
ヘンリー8世は、娘の侍女のアン・ブーリンと「再婚」し、
男児出産への夢を叶えたかった。
しかし、教皇クレメンス7世は、離婚を許さない。
王位継承のためには王妃を更迭しないといけない、
スペイン王女の王妃のバックにはスペインがいて、
ローマもその影響下ゆえ、ゼッタイに離婚は認められない。







そこで、ヘンリー8世は、奇策をおもいつく、
ローマ教皇とて、十字軍二百年にわたる失敗以来というもの、
権威もとっくに失墜している、
お膝元のイタリアだって、メディチ家のカネで贅沢をしているとはいえ、
じっさいは、いまや、青息吐息ではないか。
恐れるに足りない。
そこで、ヘンリー8世は、スペインおよびヴァチカンとの関係を清算して、
1533 年に カザリンを離婚し、
年若い アン・ブリーンと目出度く結婚、
1534年、英国国教会をつくってしまう。
かれの言い草は、
「おれさまが信仰の擁護者だ、
教義は、国王はゼッタイに偉く、国民は服従」、
ヘンリー8世はおもった、「これでいいのだ。」
そしてヘンリ八世は、財政再建のため、
イングランド内に星の数ほどある教会や修道院の、
土地もカネもぜんぶ没収せしめた。
一挙両得である。






一般にヘンリー8世は、女の敵であり、
悪辣非道、自分のことしか考えてなかったと言われるし、
じっさいそのとおりではあったろう。
とはいえ、そんなヘンリー8世とて、
さすがに新しい時代の到来に気づいていただろう、
なにしろ1400年代末、コロンブスが新大陸を発見し、
さらには、東インド航路も開拓され、
ヨーロッパとアジアはつながって、
略奪競争の時代がはじまっていることを。
スペインとポルトガルはウハウハだ、
いまや銀をどれだけたくさん持っているか、
それが国家の値打ちを決める時代になったのだ。
それにひきかえ、イングランドは吹けば飛ぶよな小国だ、
なにしろ王様が自由に使えるカネがないのだ。
それでもかれは、1512年、テムズ川にウールウィッチ造船所を、
1513年にデプトフォード造船所をこしらえ、
そのほか、いくつもの川に造船所を作っていったものだ。
しかし、それが宗教改革によって、
イングランドの星の数ほどある教会の土地財産がすべておれのものなのだ。
そしてヘンリー8世は、まず、王立海軍 (Navy Royal) の拡充を行った。





しかも、この改革によって、
自営農民(ヨーマンリー)たちや、多くの地主貴族たちは、
資本を手に入れ、その資本によって、
毛織物や、商品としての農業を発展させてゆくようになる。
早い話、資本主義の条件が揃ったのだ。





しかし、その他方、ヘンリー8世の宗教改革からというもの、
イングランドの国民は気が気ではなかった。
なぜって、なにしろローマ・カトリックを裏切ったのである、
内外のクリスチャンが怒るのは当然だし、
しかもいつローマ教皇の指示で、
イングランドにとてつもない災いが起こるか、
まったくわからなかったから。













それからまたヘンリー 8 世は、
これだけ大騒ぎしてアン・ブーリンと結婚したのに、
3 年後、1536年には、もうアン・ブリーンに飽きていた。
(アン・ブーリンがまた、ミステリアスな女で、
右手の指が6本で、おまけにおっぱいが3つもあった)。
ヘンリー8世はこんどはジェームス ・ シームア に惚れ、
邪魔になったアン ・ ブリーンには姦通の罪を着せて、
ロンドン塔内の処刑場で断頭刑に処した。
そしてアン・ブーリンの処刑の10日後に、
ジェーン・シーモアと結婚式 を挙げた。
ジェーンは1537年にエドワード王子を出産したものの、
哀れ彼女は、産後に、死んでしまう。





あ、そうそう、ヘンリー8世といえば、
1541年にはアイルランド王を兼任、
かれは、アイルランドを完全に支配したことも重要だ。
ヘンリー8世は、アイルランド的なものを一切認めず、
イングランドへの同化を強要したものだ。
さて、そのヘンリー8世の死後は、めちゃくちゃである。
ヘンリーの息子のエドワード6世が王様に就いたものの、
国は荒れ放題、景気は最悪。
エドワード6世の死後は、
エドワードの遺言状によって、レディ・ジェーンが、
ロンドン搭で王冠と王だけが持つものとされる「搭」の鍵を受けった。
すなわち、女王の座についた。
しかしながら、レディー・ジェーン・グレイが二度と「塔」の外へ出ることはなかった。
旧教派貴族ノーフォーク公とメアリー1世の軍勢が蜂起し、
レディー・ジェーン・グレイは、
わずか9日間女王を務め、あっけなく、処刑された。
その次が、悪名高いメアリーで、
メアリーは熱心なクリスチャン、
父ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、
イングランドはローマ教皇を中心とするカトリックに復帰し、
次から次へとプロテスタントたちを火あぶりにした。





ヘンリー8世は、ジェーン・シーモアの没後、3回ほど結婚し、
妻を離婚、あるいは処刑し、最後に自分が梅毒で死んだ。
1547年、57歳だった。




つづく  →  http://www.doom.now.cc/rvwr/000436613/diarydtl/51375/
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