8月末にハワイはワイキキビーチから戻ってきて、当地に関する食味事情や感じたことなどをそれぞれ綴ってみようかと思い、下手糞な写真を載せたまま、放置プレイとなってしまった。端的に言って、公私ともども忙しく、どこの誰が見ているんだかわからない、何の役にも立たない、個人的な感想なんぞを書き記す時間が取れないのが、放置プレイとなった理由であるわけだが、言うまでもなく「忙しい」というのは「他に取り組むべきこと或いは取り組みたいこと」に比べて「優先順位が低い」ことに他ならない。
この三年間、毎年この時期に、家人と愚息とオレの三人で、某業界の共同福利厚生施設であるコンドミニアムを宿として利用し、一週間ちょっとの休暇をとっている。昨年、一昨年は、アウトレットモールでの買い物やホノルル動物園見学、或いは、シュノーケルやウォータースライダー等の「物見遊山」もしくは「イベント」にも参加したが、今年は面倒くさくなり、コンドミニアムから徒歩で移動できる範囲内で、子供の面倒見を兼ねた水遊び、飲食い、読書、そして、睡眠でほとんどの時間を過ごすこととなった。換言すれば、「何もしていない」といっても差し支えなかろう。
折角の休暇だから、「勤勉」に彼方此方出向いてみるというのも、旅の作法のひとつではあろうが、ガイドブック片手に「スケジュールを埋め尽くす」というのは、日常の仕事のふるまいとほとんど変わるところはなく、かえって疲れてしまい、これでは何の為に連続休暇をとったのか本末転倒と言わざるをえない。連続休暇を「擬似バカンス」――フランスでは一ヶ月程度の長期休暇を指すらしい。真偽のほどは確かではないが、のんびり日常を離れるには一週間はあまりにも短すぎる。――として「連続休暇」を捉えるのであれば、「何もしない」というのも「悪くない過ごし方」ではなかろうか。
人為的に砂を運び込んだとされている(らしい)ワイキキビーチは、遠浅で子供でも危険な目に会うリスクは限りなく小さく、快適だ。だが、むき出しの「自然」――今時そんなものはほとんど何処にもない。二三年前に南極に行った友人から写真が送られてきたが、背後に控える「基地」の画像は「人類の叡智」による「自然征服の意志」が強く感じられるものだった。――が強いる「苦痛」と、それに伴う「未知の経験」から得られる「快楽」とはほど遠く、「退屈」きわまりない。通り一遍の「情報」にアクセスし、小金を支払えば、それなりの「効用」は得られるのかもしれないが、そんなお手軽な「快適さ」は、何もわざわざ遠くまで出かけなくても、東京都内でいくらでも簡単に手に入る。
というわけで、お節介にも、ワイキキを訪れる日本人観光客――むろんオレも観光客の一人にすぎない――向けの「レストランガイド」でも書こうかと思ったが、よくよく考えてみると、仮に「退屈」な「快適さ」へ貢献する可能性こそあれ、オレが求める「快楽」には程遠いシロモノとなりそうなので、差し控えることとし、ワイキキの街角に腐るほどあるコンビニエンスストア「ABC」で購入した「バドワイザー」は、日本で飲むとスカスカの水みたいに呑みごたえのないモノだが、ハワイの乾いた空気の中だと、気のせいか存外に「コク」があり、本邦のそれより「旨く」感じたことだけ、とりあえず、記しておこう。
十冊ほど持ち込んだ本のうち、とりあえず読了できたのは、夏石鈴子「バイブを買いに」(再読)、尾崎翠「第七官界彷徨」、リチャード・パワーズ「舞踏会に向かう三人の農夫」、斎藤夜居「伝奇・伊藤晴雨」、濡木痴夢男「「奇譚クラブ」の絵師たち」と半分だけであった。いずれも「乾いた海辺」には相応しくない内容だが、「ミスマッチ」もたまには悪くなかろう。残念だったのが、永年の課題図書ミシェル・ビュトール「心変わり」の冒頭数ページに手をつけたものの、またしても挫折してしまったことである。進行する「老眼」と、後退する「記憶力」のなせる業か、持ち込んだ本全てを読みこなすには、一ヶ月近い本物の「バカンス」が必要なのかもしれない。